未来教育…総合的学習の時間 〜プロジェクト学習&ポートフォリオ評価〜
鈴木敏恵 未来教育デザイナ-/一級建築士
http://www02.so-net.ne.jp/~s-toshie/
「総合的な学習」は、教科書なき自由な学習の時間。テーマ、計画、評価に至るまで、先生と子供のアイディアとセンス次第だ。自らゴールへ向かい、成果を出す..これをプロジェクトという。
新しい学習には、新しい評価/ポートフォリオが活きる。それはテストの点数やマイナスを数えるものではなく、その子のプラスを見出し伸ばす視点を学習者自身に与える「成長の軌跡」ファイルだ。
〈キーワード〉意志・考える力・情報共有・コンセンサス・自己評価・コアコンピタンス
■総合学習は、プロジェクトベースで...
<プロジェクト>という言葉は、ある目的を果たすための「構想」や「計画全般」を指す。それは単発的に終えたり、ひとりで終始することはなく「組んでやる他の存在」と「継続的な一定の時間」が要る。そしてフェーズ(局面・段階)ごとに解決に必要な「情報」を収集したり「知恵」を共有しながら進行し、最後に必ず「成果」を出すことを前提とする。これを学校における「総合的な学習の時間」に置き換えると、下記(A)のようなフローを描くことが出来る。
■それは「生きる」をデザインする学び
目標をたて、ゴールをイメージしながら、起こり得るフェーズを想定し、必要なスキルを身につけ解決するための知や情報を得ながら真剣に向かう…これはプロジェクト学習ばかりでなく人生で「夢や仕事」を適える時に共通するプロセスだ。
子ども達の未来には、無限の海原が広がっている。学校は航海に必要な知恵とスキルを身につける所だ。その目的地も航路も1人ひとり違う。それは誰かが決めてくれるものではない、自分の心で決めるものだ、たくさんの人と知恵や愛情や勇気を分かち合いながら適うものだ。...プロジェクト学習を経験した子ども達は、いつの日か人生の夢を適える力も得ていることに気づくだろう。
■新しい評価法…ポートフォリオ
新しい学習には、新しい評価が必要だ。
総合学習のスタートに対し、英国や米国の教育界で話題の「ポートフォリオ」が、日本でも広がる兆しをみせている。それはひとりの人間が、学びのプロセスで生み出す「学習成果」...文章・絵・作品・返却されたテスト用紙・調べ学習の情報メモや新聞の切り抜き・写真・ミィーティング録等を一元的にファイルすることが基本となる。
■情報テクノロジーが不可欠
【情報リサーチ】
…プロジェクト進行のためには、まず<新鮮で適切な情報やデータ>が欠かせない。それは、<広域的>に入手することでより確実性が増す。ここにインターネットは大きな役割を果たす。
さらにフィールド取材やインタビューの際にも、また現場の写真記録、それを即座に発信する時にも、デジタルカメラ、モバイルコンピュータなど新しいメディアは必須の道具だ。
【テレコラボレーション】
…プロジェクト学習は、教室の外の人々と一緒に進めることも多い。ここにネットワークが活きる。例えば適切な機関から、専門的な意見をメールで寄せてもらう、また同じテーマで学ぶ地域や海外の学校などと<パートナー>を組み、Web上に共同で作品を作る。さらにテレビ会議システムで互いの顔を見ながら、ライブで考えを出し合うなど、マルチメディアの活用は、この未来的な学習になくてはならない存在だ。
【web/プレゼンテーション】
…プロジェクト学習の成果を、地域の人々や専門家の前でプレゼンテーションする..
.インターネットで公開する。そこから次のような効果が得られる。
・いろいろな手段の『プレゼンテーション』を経験、『コミュニケーションスキル』向上。
・作品を見た人の反響や感想が寄せられることで、『モチベーション』がアップする。
・まったく予想していなかった、色々な意見が寄 せられ、『多様な考え方』があることを知る。
・『正解は、ひとつでない』ことを知る。
・より多くの人が見、評価し、人々の知恵や意見が積み重なり『成果は、より良いものになる』
・それが『ビジュアルで共有』出来ることで、 『思考は深化し、進化』する。
・世界の人々の『知の共有』が適う。....etc
■ポートフォリオには、色々な意味がある
・語源的には…
意味=紙ばさみ。ラテン語語源=持ち運び
・マネジメント/経営戦略界では…
有価証券の内訳、一覧表、金融資産。「ポートフォリオ戦略」複数の戦略を組み合わせておき、全体としてリスク分散を計る「統合戦略」の意。
・建築家,コピーライター,写真家等独自の才と個性で勝負するプロは、自信ある作品、完成写真、掲載された新聞記事や著作等ポリシーが凝縮されている「作品集/ポートフォリオ」を持つ。経歴書や名刺では伝わらないセンスや表現力、実力などが凝縮された「ポートフォリオ」をクライアント(仕事の発注者)に示しながらコアコンピタンス(自分はこれだ!っていう強みになる能力、センス、スキル)をプレゼンテーションし仕事(夢)をGedし人生を開いていく。(私も自分自身のポートフォリオを持っている)
■教育における「ポートフォリオ」概要(B)
・結果のみでなく、学習プロセスを評価する。
・問題解決力、コミュニケーション力、表現力などの従来のテストで計れない力の評価。
・「自己評価、オープン評価」が前提。
・学び手自身の視点にたった課題提出。
・学び手自身が学習デザインを認識している。
・教師同志も学習者も「評価観点」を共有。
・点数刻みではない、その子の全体が表れ、特徴や個性やスキル=「コアコンピタンス」に繋がる「何か」が見い出せ伝わる。
・学習者が自らの学習のフィードバックから自分のコアコンピテンスに気づく。
・「自己確認された成長の軌跡」「成長前」「成長後」が見えることの有効性。
■ポートフォリオ評価の「対象」
{1、学習成果ファイル}
学習成果のうち重要なものを自分や教師と「対話」しながら「ファイル」したもの。
{2、再構築}
上の学習を、自分なりに改めて編集し、凝縮したもの。「知の再構築」
{3、プレゼンテーション}
上のマルチメディア作品や紙芝居などによる「プレゼンテーション」を評価する。
1、にもたくさんバリエーション有り。また1、2、3を組み合わせたものなど多種多様。
■ポートフォリオの「種類」
多くは、「課題ポートフォリオ」を指すが、一生涯成長し続けるひとりの人間とっては、「個人ポートフォリオ」の作成が大きな役割を果たす。
・「課題ポートフォリオ」
その特定の「テーマや研究」を凝縮したもの。ex..「環境の違いによる朝顔の観察レポート」「中国の歴史/研究ファイル」など
・「個人ポートフォリオ」
その「人」のコアコンピタンスや活動やポリシーが凝縮されたもの。ex..建築家やジャーナリスト、写真家、モデルの「作品集/仕事歴」など。
先生方もポートフォリオを作成すること提案。
■知の共有--電子ポートフォリオ
カリフォルニア州サンフォゼの高校では、生徒は、自分で決めたプロジェクトを進めながらマルチメディアでポートフォリオを作り「卒業プロジェクト作品」としていた。その制作過程の様子や情報やデータもすべてポートフォリオとしてサーバーの中に、それは最終的にはwebにあげマルチメディア・データとしてネット上で見ることが出来る。またシリコンバレーの私立校では、学生の作品集/ポートフォリオを納めたCDを作成していた。優秀なポートフォリオは「教材」として「共有の知」となる素晴らしい可能性を持つ。アンカレッジ市の教育研修メニューにも電子ポートフォリオがあった。(昨年来3回米国学校視察)
■ポートフォリオの課題
・情報共有とコンセンサス
ポートフォリオには、時間をかけた準備がいる。まずポートフォリオとは何なのか、教師、生徒、父母はもちろん、進学先や就職先にも共通して情報を伝え理解され、その導入へのコンセンサスを得る必要がある。
・評価基準・ルール・観点
教師によって認識が異なるというわけにはいかない。文章や作品やプレゼンテーションをどんな判断で評価していくのか、学習プロセスをどうデザインしていくのか、全教師間で学年や教科を越えて、評価の基準づくり、ルール、観点、分析法をすり合わせる必要がある。
・少人数クラス・教員研修
問題解決能力や発想を引き出すような設問の出し方や採点法、さらに時間割、学年計画の編成など手間の要る業務も控えている。また生徒の学習プロセス全体に教師が関わるためには、充分な教員数や教育サポータの支援、小クラス制が求められるだろう。この新しいやりかたを修得する「実務研修」も要る。さらに「本質を押さえた事例集」なども必要だ。ポートフォリオ、スタートにはかなりの時間と労力、知恵の結集がいる、さらにそれをバックアップするリーダーも不可欠だ。
■ポートフォリオへの眼力
「あなたは何を学び、どんな力がありますか?」この問いに対し「成績表」を見せるより「ポートフォリオ」を見せた方がずっといい。それは、これまでの学習や成長の歴史でもあるからだ。
自分の未来を決定するような重要な進学、就職の場面で「これまでの自分」であるポートフォリオを示すのは何故か?それは、そこから「これからの自分」の「可能性を汲んでほしい」からだ。その時、問われるのは、そのポートフォリオよりそれを見る学校や企業の大人たちの洞察力やセンスや眼力だ。
■チームワークの前に...
プロジェクト学習にはチームワークが大切。しかしそれは意志ある個人がいてこそ。日本は、自分を主張するよりも、まだまだ和をもって良し、が評価される。 人目を気にして自分の考えや意見をハッキリ言えないのは、子ども達ではなく、私達大人達だ。いまこの国には、まわりから浮くことを恐れ自分を出さない雰囲気が蔓延している。この土壌の中で中学生や高校生が、いかに伸びやかに自分を肯定的に出すことが出来るか、周囲の人もそれを素直に受けとめることが出来るか、その解決がポートフォリオの前に不可欠だ。
■万能の秤はない
ポートフォリオがどううまく作用しても、それはもちろんその子のすべてではないし、その子の力を、明確に計りきれるものでもないことを改めて意識しておきたい、この世に人をはかりきれる万能の秤などないのだから。その子の可能性を見抜けるとすれば、教師や親の丁寧な、愛ある眼差しに適うものはない。
■未来教育への扉
人の評価など気にせず、みっともないくらい本気でがむしゃらに生きていいんだ。そう子ども達に伝えたい。「大好きだよ、さあやってごらん...ほら!見てごらん昨日出来なかったことが、今日、出来たじゃない!」そう子供たちに言おう。 大切なのは学習がどれほど身についたか?自分は、昨日より成長したか?自分を自分で、まず丁寧に見て、自分にチャンスを与えることだ、それが学習だ、自己評価なんだ。
・・総合的学習の狙いとする問題解決能力、考える力、コミュニケーション力、それは評価することが可能なものなのであろうか?どうやって評価するのか?そもそも、人が人の成長を評価することなど出来るのだろうか?...心の奥にそのためらいや畏怖を忘れずいたい。
何にも先にまず伸びやかに「自分を出す力」を、子供たちに与えよう。大人は、自分の考えや質問を伸びやかに言える環境を自ら生み出そう。
子ども達に、成長して欲しいと願うなら...何より有効なことは、成長し続けている自分自身を見せることだ。丁寧で誠実な人生を、私達おとなからまず生きることだ。
ずっと昔から..そして訪れる新しい時代にも、知の伝承の鍵はここにある。